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​巳正月

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巳正月の飾付がされたお墓

 愛媛県には、その年に、亡くなった家族がいる家にお坊さんがお参りしてお経を唱える巳正月という風習がある寺院があります。高龍寺には、村上水軍の弔いが始まりと言われている他とは違う巳正月の風習が伝わっています。


 村上水軍は、日本中世の瀬戸内海で活動した水軍(海賊衆)で、海上の要衝に関所を構えて水先案内人、海上警固海上運輸など海の安全や交易・交流を担う重要な役割を果たしました。
しかし、毛利氏方として参加した第二次木津川口の戦いで、織田信長方の水軍として九鬼氏に率いられた九鬼水軍に敗北し、近畿圏の制海権を失い衰退していきました。

 村上水軍は大島に暮らす人々にとても慕われており、多くの海賊の死を地元の人々は深く悲しんだそうです。
しかし、敗北した海賊の供養を堂々とするわけにはいかず、お坊さんをこっそり呼んで供養していたのが、長く続くうちに、今では先祖供養に変わっていったと言われています。

 その年に、亡くなった家族がいる家は、十二月の最初の辰の日に家でお経を唱え、次の日の巳の日に変わる午前零時頃に、お墓詣りをして墓石の前でお餅をばらばらに切ります。
お餅を敵の首に見立ててお墓の前で切ることで、「仇はとったぞ」という意味だと伝えられています。
お餅の切り方も、家によって「手で引っ張って切る」、「紐で首を絞めるように切る」、「逆手に持った鎌で切る」などその家でのやり方が伝わっており、いずれも恨みの深さを感じられます。

また、このお墓参りには「もしも誰かと出会っても何も喋ってはいけない。挨拶もしてはいけない」といった決まりがあります。海賊の弔いをしていることが知られないための風習の名残かもしれません。

 この巳正月ですが、お餅を頼朝に見立てて墓前で仇討ちをする源氏や平家の弔いだという説もあります。または、墓前でお餅を引っ張り合う愉快な様子からご先祖様に家族みんな仲良く暮らしていますよと伝える儀式という説もあります。

いづれも、口伝えでしか伝わっていないため、いずれが正しい成り立ちだったのかは分かりません。

 以前は夕方に自宅でお勤めして皆でお斎を頂き日が変わる頃にお墓参りしてましたが、夜は猪に出て危険という事から20年程前から昼間のお墓参りとなりました。
現代においては、我が家の新仏さんに私達も新たな年を迎えますよ。皆んなで家を守っていきますからご安心下さいねと伝える仏事​として行っています。

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